Monday, September 28, 2015

Guide to 安達哲

 はいっ、こんにちはー。ええ、もう、雨が降ったり、槍が降ったり、体調くずしそうな最近ですが、元気ですか。私は久しぶりにフリー・ジャズ欲が高まってきて、アンソニー・ブラクストンだのペーター・ブロッツマンだの中古で買いこんで、聴いています。冬産まれということもあって一歩一歩と寒くなるこの時期には昔のことをよく思い出します。受験勉強のときに延々リピートしていたジャズのアルバムとか。。。
 今日はそんなフリー・ジャズとは一切なんの関係もない安達哲というマンガ家の話です。読んだのが結構前なのは共通しているかも。


 安達哲の代表作といったら何を思い浮かべるだろーか。ドラマ化された『お天気お姉さん』か。アニメになった『バカ姉弟』か。単行本最終巻で「成人指定」を喰らった『さくらの唄』も、数多くフォロワーを生んだ。うん、どれも他のマンガではなかなかできない体験をさせてくれる良作だ。『お天気お姉さん』だけは、『さくらの唄』の耳鳴りに過ぎないような印象だったので、一巻しか読んでないけど。
 しかし私にとって強烈なインパクトとともに脳裏に焼き付いているのは、『幸せのひこうき雲』という単行本一巻で完結する短い連載だった。作品単体としての面白さは上記の連載作にゆずるかもしれないが、このマンガで見せた安達哲の絶句するほどの技巧は、すべてのマンガ読み・マンガ書きに推薦したくなる。
 それについて話せれば満足なんだけど、まずは落ち着いて(お前が落ち着け、、)安達哲の経歴を簡単に振り返ってみよう。これから安達哲を読める幸福な(?)ひとのためにね。(キマッタ!)
 

 少年砲射出リビドー、種を蒔きちらす


 安達哲は『ホワイトアルバム』のデビューを経て、次作『キラキラ!』を長期連載。次の『さくらの唄』から掲載誌を週刊少年マガジンからヤングマガジンに移すが、この三作は青春の痛みと狂熱を描いている点で似た顔を持った三姉妹である(なんで女なのかと訊かれても困るけど。。)。『ホワイトアルバム』の人物づくり、つまり奔放に生きる不良・厳しい家に生まれた一人娘・真面目すぎる主人公といった役どころは少し平凡で、ストーリーを炸裂させるほど機能もしていなかった。
 しかし『キラキラ!』でたちどころに進化。理想の青春めざして進学校から私立高校の「芸能科」に転校した秀才主人公は、そのなかでもトップレベルの美人に恋をしてアレやコレやなるのだが、「フツーじゃない高校生活の刺激」は次第に「フツーの青春を送れない憂鬱」にシフトする。高校の芸能科という舞台装置も、ここで描かれるのは華々しい生活ではなく、ショー・ビジネスの狂ったスピード、学歴社会の歪み等、大人の作ったシステムに呑まれ、擦り切れていく少年少女のなまなましい傷痕だ。
 後半以降はさらに増える人物たちにより、愛憎と因縁のカーニバルとでも言うしかない群像劇が始まる。コミカルだがふと背筋が凍る、この明暗がスリリングな手法は『さくらの唄』に引き継がれ、大爆発を起こすのだが、これについての詳述は避ける。ひとつだけ指摘しておきたいのは『キラキラ!』では少年の内にとどまっていた性衝動が、『さくらの唄』では物語のカタストロフに直結していくこと。いわばガソリン的に機能していたものが、ここにおいて引火する。。。その余韻は『お天気お姉さん』という長い波をひきおこし、『幸せのひこうき雲』で飛翔する。
 

 幸せのひこうき雲とは何か?


 田舎に転校してきた小学生・竜二は、担任の女教師・西条に個人的「性教育」を強要される。さしあたりあらすじはこれだけで十分だ。このマンガのページの多くは徐々にエスカレートする西条の媚態と、それを甘んじて受ける竜二の描写についやされる。
 同じ性描写といっても、『さくらの唄』以前のそれとは性質がまったく違う。前作にただよっていたヴィジュアル面だけでは説明のつかないエロティシズムは、少年少女の不器用な「愛」が下地にあってようやく読まれるものだったからだ。この作品ではわかりやすい「内面」的な物語の線は、いっさい描かれない。淡々と息苦しく続く性教育のシーン。
 
 にもかかわらず、このマンガは美しいのはなぜか。

 次に引用するページが答えである。
 
 


参照:講談社 ヤンマガKCエグザクタ 安達哲『幸せのひこうき雲』1998年1月7日初版 185頁







同上、186頁

 



 
 これ以上、言葉を必要とするだろうか。
 もちろんスカトロジー自体が美しいのではない。少年と教師が美しいのでもない。熱気と湯気を雲に、放尿のヴィジョンを青空を翔ける飛行機の残像に託して、はじめて美しさを纏うことができたのだ。
 (ひとつ注意しておきたいのは、1枚目のページ上のコマを見てわかるとおり、少年が目隠しされていること。ひこうき雲は少年が見た光景ではない。誰が見た光景でもない。この本という、作品の舞台装置において、尿と飛行機雲が連結された、、、)
 いくつもの言葉、長い物語をついやすことなく、安達哲はたった2ページで、この変態性を「美しく」転じてみせたのだ。死角からハンマーでぶち殴られる衝撃。
 さあ、今いちど声に出してタイトルを読んでみよう。「幸せのひこうき雲」。しあわせの、ひこうき雲。。。
 もっとも、逆に「雲のイメージを放尿に託した」と考えて、田舎町の澄んだ青空という(単行本の表紙にも使われている)風景を不気味にネガポジ反転して見せた、という印象を受ける人もいるかもしれない。確かにマンガは最後、えもいわれぬ不穏な空気に包まれて終わるのだが、その前に語られる「愛」の形などもあって、私は前者の印象を受けた。これはどっちが正しいという話ではないだろう。そのときどきや読む人の気持ちで変わるものだから。
 いずれにしても、たぐいまれな技巧によって、安達哲は嫌悪されかねない題材をリリカルに描いてしまった(まあ、読んでも嫌がる人はいるだろうけど。。。)。

 その後、ふっきれたのではないにしろ『バカ姉弟』というエロティシズムとかけ離れたシュールなコメディマンガを描き、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞する。ただし一般に言われているような「ほのぼの」系マンガとしてこれを読むのはどうなんだろう。
 いま、本棚の底に埋もれて確認できないのが心苦しいが、たしか『さくらの唄』の文庫版あとがきか何かで、著者自身が「アンチ・ロマン的こころみ」(いやー、他の言葉だったような気もするな。確認しだい訂正します)、とにかくそれまでの方法をいったん忘れたところから描き始めた作品と位置付けてよさそうだった。ま、その話は今度にしよう。。。

 安達哲は『バカ姉弟』の不定期連載以外に、オリジナルの作品を書いていない。ストーリーテリング、ヴィジョン幻視術ともに突拍子もない才能を持つこの人が、次にどんな爆弾作を描くか、楽しみにしつつ応援してます。

No comments:

Post a Comment